「効率」を求めて時間を溶かす矛盾に絶望した私が、再起をかけてしがみついたのは泥臭い「型」でした。

マインド

最近、パソコンの前に座るたびに、
ふとため息をついてしまうことってありませんか?

僕はよくあるんですよね。

「今日もまた、
何も進まなかったな……」

そんな後悔と一緒に、
冷めきったコーヒーを飲み干す夜が、
何度もありました。

つい先日の休日のことです。

僕は、最近話題のAI連携ツールである、
「Make」の設定画面を睨みつけていました。

目的はただ一つ。

「どうにかして、
日々の執筆作業を楽にしたい」

その一心でした。

朝の9時からパソコンを開き、
コーヒーを片手に、
意気揚々と作業を始めました。

「ここをこう繋げば、
自動で記事の構成ができるぞ!」

まるでパズルを解くような感覚で、
ノードと呼ばれる丸いアイコンを、
画面上で繋ぎ合わせていきます。

ChatGPTのモジュールを配置し、
プロンプトを入力して、
Googleドキュメントに連携させる。

頭の中で描いた完璧な設計図通りに、
マウスを動かす手にも力が入ります。

「よし、これで完成だ!」

期待に胸を膨らませて、
テスト実行のボタンを力強くクリックしました。

でも、現実はそう甘くありませんでした。

テスト実行のボタンを押すたびに、
無情にも表示される真っ赤なエラーメッセージ。

原因を調べようと、
海外のフォーラムを読み漁り、
Google翻訳に突っ込んで解読を試みる。

そしてまた設定をいじっては、
エラーの繰り返し。

ふと窓の外を見ると、
あんなに明るかった空は、
すっかり真っ暗になっていました。

時計の針は、夜の20時を回っています。

11時間もの間、
僕はただパソコンの前に座り、
エラーと格闘していただけでした。

そして一番の悲劇は、
その日、記事の文字数が「0文字」だったことです。

「効率」を求めてツールを触っていたはずなのに、
丸一日という膨大な時間を、
あっという間に溶かしてしまった。

このとてつもない矛盾に、
僕は深い絶望を感じました。

もしかすると、これを読んでくれているあなたも、
似たような経験があるのではないでしょうか?

楽をしようとして、
逆に苦しくなってしまう。

そんな泥沼の試行錯誤の中で、
僕がどうやって再起を図ったのか。

今日は、そのリアルな過程を、
少しお話しさせてください。

「もっと楽な方法があるはず」という呪いに、僕たちはどうして絡め取られてしまうのか?

今の時代、本当に便利になりましたよね。

ChatGPTやClaudeなど、
優秀なAIが次々と登場し、
「誰でも簡単に記事が書ける」
と言われるようになりました。

僕自身も、
「これでようやく、
執筆の苦しみから解放される!」
と、飛びついた人間の一人です。

でも、実際にAIを使ってみると、
どうでしょうか。

たしかに文章は一瞬で出てきます。

でも、なんだか薄っぺらくて、
誰でも書けそうな、
無個性な文章ばかりが並ぶ。

「これじゃあ、
読者の心には響かないよな……」

そう感じた僕は、
「プロンプトが悪いんだ」
と思い込むようになりました。

そこからは、終わりのない、
「最強のプロンプト探し」の旅の始まりです。

SNSで流れてくる、
「コピペで使える魔法のプロンプト!」
といった投稿を片っ端から保存し、
自分の環境で試してみる。

さらに、それをMakeなどのツールに組み込んで、
ボタン一つで完璧な記事が完成するような、
夢の自動化システムを作ろうとする。

でも、システムを複雑にすればするほど、
エラーの確率は上がり、
メンテナンスに膨大な時間を奪われていくんです。

気づけば、本来の目的であった、
「読者に記事を届けること」から、
「完璧な自動化システムを作ること」へ、
目的がすり替わっていました。

「手段」が「目的」になってしまう。

効率化という甘い言葉の裏には、行動を先延ばしにする罠が潜んでいるのかもしれません。

「まだシステムが未完成だから」
「もっと良いプロンプトがあるはずだから」

そう言って、
記事を書くことから逃げていたんですよね。

まるで、最新のランニングシューズを探し求めて、
ネットサーフィンばかりしているのに、
一歩も外を走っていないのと同じです。

これって、とてつもなく怖いことだと思いませんか?

「もっと楽な方法があるはずだ」
という呪いが、僕たちの足を止め、
時間を無情にも奪っていくんです。

2時間もの間、白紙の画面を睨み続けたあの日の絶望から、根本は何も変わっていなかった

なぜ、僕はここまで、
「効率」や「完璧なシステム」に、
こだわってしまったのでしょうか。

その根本を深掘りしていくと、
ある過去のトラウマにたどり着きます。

それは、僕がネットビジネスに挑戦し始めた、
初期の頃の出来事です。

当時、僕はなけなしの貯金を叩いて、
高額な情報商材やスクールに投資をしていました。

「これで人生が変わるはずだ!」

そんな期待に胸を膨らませて、
意気揚々とパソコンを開いたあの日。

Wordの新規作成画面を開き、
「さあ、稼げる記事を書くぞ!」
と気合を入れました。

しかし、いざキーボードに指を置くと、
ピタッと動きが止まってしまったんです。

画面には、
ただ無機質にチカチカと点滅するカーソルがあるだけ。

部屋の静けさの中で、
自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえました。

「あれ……? 何から書けばいいんだ?」

頭の中を真っ白な霧が覆っていくような感覚。

「こんな平凡な自分が書いた文章なんて、
誰が読んでくれるんだろう」

「間違ったことを書いて、
批判されたらどうしよう」

幼少期から人見知りで、
普段から自分の意見を言うのが苦手だった僕は、
見えない「誰か」の目を極度に恐れていました。

その恐怖が手枷足枷となって、
僕の自由を奪っていたんです。

気づけば、2時間が経過していました。

その間、僕が書けた文字数は「0文字」。

あの時の、冷や汗が背中を伝う感覚や、
「自分には才能がないんじゃないか」という、
押し潰されそうな絶望感。

今でもはっきりと覚えています。

その時の恐怖が、
僕の心の奥底に、
ずっとこびりついていたんです。

だからこそ、
「自分の力で書いて失敗したくない」
という思いが強くなり、
AIに「完璧な正解」を求めてしまっていた。

AIに完璧を求める姿勢は、白紙の画面から逃げ出したかった、あの日の僕と同じだったんです。

システムのエラーと格闘しているうちは、
「自分自身の文章力」と、
向き合わなくて済みますからね。

忙しく作業している「つもり」になって、
実は一番大切な「0から1を生み出す苦しみ」から、
目を背けていただけだったんです。

この事実に気づいた時、
僕はあまりの情けなさに、
膝から崩れ落ちそうになりました。

ツールが変わっても、時代が変わっても、
僕自身の根本的な弱さは、
何も変わっていなかったんですね。

再起をかけて僕がしがみついたのは、泥臭くて退屈な「型」だった

このままでは、また同じことの繰り返しだ。

そう危機感を覚えた僕は、
効率化の沼から抜け出すために、
一つの決断をしました。

それは、最新のツールや、
魔法のようなプロンプトを追いかけるのをやめること。

そして、古くからある、
泥臭くて退屈な「型」に、
もう一度しがみつくことでした。

例えば、「PREP法」と呼ばれるような、
結論から書いて、理由、具体例、そしてもう一度結論、
というような、ありふれた文章の構成です。

または、「共感→問題提起→解決策の提示」といった、
ブログ記事の王道のテンプレート。

「そんなの、今さら……」
と思われるかもしれません。

でも、当時の僕には、
その「型」という補助輪が、
絶対に必要なものだったんです。

自分の感情や体験を、
ゼロから自由に表現しようとするから、
途中で迷子になってしまう。

だったら、先人たちが作ってくれた「枠組み」に、
自分の言葉を当てはめていけばいいじゃないか。

そう割り切ることにしました。

完璧主義を捨てる。

どんなに不格好でもいいから、
まずは型に当てはめて、
最後まで書き切ることを最優先にしました。

AIを使う時も、スタンスを変えました。

ボタン一つで記事を完成させるのではなく、
「この型の、この部分のアイデアを一緒に考えて」
というように、泥臭く対話をするようにしたんです。

「導入部分は、こんな失敗談から入りたいんだけど、
どう展開すれば自然かな?」

そんなふうに、
AIを「全自動の機械」としてではなく、
「一緒に悩んでくれる相棒」として扱う。

出てきたアイデアが少しずれていたら、
「いや、そうじゃなくて、こういうニュアンスで」
と、何度もやり取りを重ねる。

それは、決して「効率的」な方法ではありません。

手間もかかるし、頭も使います。

でも、そうやって自分の血の通った言葉を、
少しずつ型に流し込んでいく作業は、
不思議と苦ではありませんでした。

完璧じゃなくても、60点の出来でも、まずは世に出す(0→1)ことの難しさと尊さを、僕は改めて噛み締めていました。

白紙を睨み続けていたあの頃の僕からすれば、
不格好でも「完成」させられたことは、
とてつもなく大きな一歩だったんです。

「型」というレールがあったからこそ、
迷子にならずに、
最後まで走り切ることができたんですよね。

完璧さを捨てて「今の試行錯誤」を晒した時、初めて読者の隣に座れる気がした

そうやって、型に沿って泥臭く書き上げた記事。

お世辞にも、
「洗練された完璧な文章」とは言えません。

AIの力も借りてはいるものの、
僕自身の生々しい失敗談や、
現在進行形の悩みばかりが書かれています。

「こんな個人的な泥沼の話、
誰が読んでくれるんだろう……」

公開ボタンを押す時は、
正直、かなり勇気がいりました。

でも、いざ公開してみると、
僕の予想とは全く違う反応が返ってきたんです。

「これ、今の私と全く同じ状況で驚きました!」
「失敗談を読んで、なんだか安心しました」

そんな、共感の声をもらえるようになったんです。

これには、本当に驚きました。

僕はずっと、
「読者は、完璧な成功法則を求めているはずだ」
と思い込んでいました。

「だから、自分を大きく見せて、
有益なことを書かなければいけない」と。

でも、それは大きな勘違いだったのかもしれません。

読者が本当に求めているのは、
雲の上の「成功者からの説教」ではなく、
自分と同じように悩み、つまずきながらも、
一歩先を歩こうとしている「実践者のリアル」ではないでしょうか。

僕たちの泥臭い試行錯誤こそが、誰かの背中を押す最大のコンテンツになるんですよね。

だから僕は、これからも、
「今の僕」が直面している壁や、
AIと格闘する泥臭い日々を、
包み隠さず書いていこうと思います。

「成功者」として教えるのではなく、
あなたの隣に座って、
「今日、こんな失敗をしちゃってさ」
と語りかけるように。

もし今、あなたが過去の僕と同じように、
白紙の画面を前にして手が止まっていたり、
効率化の沼にハマって苦しんでいるなら。

まずは、完璧主義をゴミ箱に捨ててみませんか?

そして、泥臭い「型」にしがみついてでもいいから、
あなたの今の感情を、
そのまま言葉にしてみてください。

不格好でも大丈夫です。

その一歩が、必ず誰かの心に届くと、
僕は信じています。

一緒に、この壁を乗り越えていきましょう。


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