正直に言います。
僕、一時期noteを書くのが本当に怖くなっていたんですよね。
最初は楽しかったんです。
思ったことをそのまま書いて、
「いいね」がひとつつくだけで嬉しかった。
でも気づいたら、
投稿ボタンを押す前に何度も読み返して、
「これ、誰かに刺さるのかな」
「こんな内容で出していいのかな」
って、延々と自問自答するようになっていた。
書き続けるほど、書けなくなっていく。これ、あなただけじゃないんです。
この記事では、
「なぜ継続するほどnoteのハードルが上がるのか」
その構造を、僕の経験をもとに正直に話していきます。
MLM失敗、FX失敗、税理士試験の断念。
そんな僕でも、ここなら( kokona )でようやく0→1を出せたのは、
この”ハードル螺旋”の仕組みに気づけたからだと思っています。
長くなりますが、
読み終わったとき「なんで書けなかったのかわかった」
そう思ってもらえるはずです。
最初の投稿がいちばん軽かった理由
noteを始めたばかりの頃、
不思議と「書けない」とは思わなかったんですよね。
タイトルも適当で、
文章も荒削り。
でも、なんか書けた。
それはなぜかというと、
「まだ比べる材料がなかったから」なんです。
noteを始めたてのときって、
「うまく書かなきゃ」という基準が、
そもそも自分の中にないんですよ。
だから筆が動く。
怖くない。
とにかく出せる。
ハードルとは、経験の積み重ねと一緒に作られるものなんです。
これ、今思えば当然のことなんですけど、
渦中にいるときは全然気づかなかったんですよね。
記事をいくつか出していくと、
だんだん「ビュー数」が気になる。
「いいね」の数が気になる。
反応がないと、
「この記事はよくなかったのかな」
って思う。
そうやって、
過去の自分の投稿が「比較対象」になっていくんですよ。
今思えば、
これがハードルを上げる最初のトリガーでした。
「以前より良い記事を書かなきゃ」という意識が、
無意識に刷り込まれていく。
そしてその感覚が積み重なると、
投稿するたびに「前回より良くないといけない」
という呪いに変わっていくんです。
最初の一投は怖くなかった。
でも、5投目・10投目になると、
「これは過去の自分に勝てているか?」
という無意識の審査が始まってしまう。
これが、
「書き続けるほどハードルが上がる」の一段目なんですよね。
では次に、
他人との比較というもう一段のハードルについて話します。
「上手な人の記事」を読むたびに、書く意欲が削られていく
noteを書き始めると、
自然と他の人の記事も読むようになります。
これは悪いことではないんですよ。
参考になるし、
刺激にもなる。
でも、ある段階から、
「参考」じゃなくて「脅威」に変わってしまうんです。
うまい人の記事を読むたびに、自分の記事がみすぼらしく見える。この感覚、知っていますか?
正直、僕もそれで何度か投稿を止めかけました。
フォロワーが数万人いるクリエイターの記事を読んで、
「こんなに面白く書けないな」
「この人のような体験も実績もない」
って思って、
書きかけの下書きをそっと閉じる。
たしかに、
上位のクリエイターと比べたら、
始めたばかりの自分の記事は見劣りします。
当たり前なんですよね。
でも当時の僕には、
それが「当たり前」として処理できなかった。
なぜかというと、
noteというプラットフォームが「比較環境」として最適化されているからなんです。
おすすめ記事に出てくるのは、
だいたい人気の記事です。
バズっているものが流れてくる。
つまり、
「よく読まれているもの」が常に目の前にある環境で、
自分の記事を書いているわけです。
これって、
野球の練習をしながら、
常に大谷翔平の映像を見せられているようなものなんですよ。
モチベーションになる場合もあるけど、
多くの場合は萎縮する。
今思えば、
僕が書けなくなっていった時期は、
ちょうど「他の人の記事を読む量」が増えていた時期と重なっていたんですよね。
インプットが増えるほど、
アウトプットへの基準が上がる。
基準が上がるほど、
「今の自分では届かない」と感じる。
届かないと感じると、
出すことを躊躇する。
これが、
ハードルを上げる二段目です。
そして、もう一段、
さらに厄介なハードルがあります。
「完璧にしてから出す」という罠です。
「もう少し良くしてから」が記事を永遠に眠らせる
下書きフォルダ、見てみてください。
そこに眠っている記事、いくつありますか?
僕はかつて、
7本もの記事を書きかけのまま放置していたことがあります。
どれも「もう少し直してから出そう」と思っていた記事です。
でも結局、一本も公開しなかった。
「もう少しだけ良くしてから」という言葉は、投稿しない理由の言い訳として機能してしまうんです。
これ、すごく厄介なんですよ。
なぜなら、「完璧にしようとする気持ち」は、
一見やる気や向上心に見えるから。
「雑に出したくない」
「読んでくれる人に失礼じゃないか」
「もっと構成を整えてから」
こういう気持ち、全部わかるんですよ。
真剣に書いているからこそ、出てくる言葉です。
でもその「丁寧さ」が、
投稿の手前に見えない壁を作っている。
そしてこの壁は、
書き続けるほど高くなっていくんですよ。
最初のうちは「とにかく出す」でよかった。
でも記事が増えてくると、
「自分のブランドを守らなきゃ」という意識が芽生える。
「前回がそこそこ反応よかったから、今回はもっと良くしないと」
そう思うと、基準がどんどん上がっていく。
これが正直、
書けなくなる一番の罠だと思っています。
書くことへの真剣さが、
書くことへのブレーキになってしまうんです。
たしかに、
クオリティを上げることは大事です。
でも、
出さない記事はゼロです。
どんなに良い内容が書かれていても、
下書きのままでは誰にも届かない。
この「完璧主義の罠」から抜け出すには、
「出した後で改善できる」という構造を理解することが鍵になります。
noteは修正ができます。
公開後でも書き直せる。
つまり、
完璧にしてから出す必要はないんですよ。
まず出して、反応を見て、改善する。
これがnoteを続けるための現実的な動き方です。
でも、
それができない理由がもう一つあります。
それが「反応への恐れ」です。
次のセクションで話しますね。
「反応がなかったらどうしよう」が投稿前からブレーキをかける
投稿前が一番怖い。
これ、共感してくれる人、多いんじゃないでしょうか。
書き終わった記事を見ながら、
「誰も読まなかったらどうしよう」
「スキがゼロだったら傷つくな」
「コメントで何か言われたら嫌だな」
こういう感情が、
公開ボタンの手前で渋滞を起こすんですよ。
反応への恐怖は、投稿前から始まっている。だからこそ、これが最も根深いハードルなんです。
僕はMLMに誘われて入ったことがあります。
その時に「人に声をかけること」が怖くて、
全然行動できなかった経験があるんですよね。
あの感覚と、noteへの投稿恐怖は、
構造的にすごく似ていると思っています。
どちらも、
「見せた後の反応を先取りして、
動く前にビビってしまう」状態なんですよ。
そしてこれも、
書き続けるほど悪化します。
最初の投稿のときは、
「どうせ誰も読まないだろう」と半ばわかっている。
だから怖くない。
でも、少しでも読者がついてきた後は、
「その人たちを失望させたくない」という気持ちが生まれる。
フォロワーが増えるほど、
「失望させる対象」が増える。
これが「書くプレッシャー」になっていく。
今思えば、
これが一番ジワジワくるハードルでした。
最初は自分だけへのプレッシャーだったのに、
「誰かへの責任感」に変わっていく。
でも、
この恐怖と向き合った後、
僕はひとつの事実に気づいたんです。
それは、
「読者は、思ったほどシビアじゃない」ということです。
たしかに、反応がなかった記事もたくさんあります。
でも、それで読者が去ったかというと、そうでもなかった。
むしろ、「スキの少ない記事」の後に書いた記事が
反応良かったりする。
コンテンツって、積み重ねで評価されるものなんですよ。
一発勝負じゃない。
だから、
「今回の記事がダメでも、次がある」
という感覚を持てるかどうかが、
継続できるクリエイターとそうでない人の分岐点だと思っています。
ただ、それでもハードルが下がらない場合、
もっと根本的な問題があります。
「そもそも何を書いていいかわからない」という状態です。
ネタ切れという見えない恐怖が、継続の足を止める
最初のうちは書くことがある。
自己紹介、今までの経験、思っていること。
引き出しがある状態だから書ける。
でも10本、20本と書いていくと、
「もう書くことがない気がする」
という感覚が出てくるんですよ。
「ネタが尽きた」という感覚は、実は「ネタを掘る方法を知らない」だけなんです。
これ、正直気づくのに時間がかかりました。
「もう書くことがない」と感じていた時期、
実は毎日なんらかの経験をしていて、
なんらかの感情が動いていたんです。
ただ、それを「記事になるもの」として見られていなかった。
たとえば、
コンビニでの出来事。
家族との会話。
副業を続けながら感じたモヤモヤ。
こういう「小さな気づき」を記事の種として見る目が育っていないと、
「大きなネタ」が来るまで書けなくなるんですよね。
僕が副業を始めた頃もそうでした。
MLMで失敗したことは書けた。
FXで失敗したことも書けた。
でも、その後に「何を書けばいいか」がわからなくなった。
「ドラマチックな失敗談がないと書けない」
という思い込みが、ネタの掘り方を狭めていたんです。
今思えば、
日常の中に「ネタ」はいくらでもあるんです。
大事なのは、
それを「noteになるもの」として変換する思考回路です。
このスイッチが入ると、
ネタ切れという感覚がなくなります。
「今日あったことを書けばいい」
「この悩み、同じように思っている人がいるはずだ」
という視点が生まれてくる。
ただし、
ネタはあっても書けない場合もあります。
それが「時間がない」という問題です。
「時間がない」は言い訳じゃない。でも、構造を変えれば解決する
本業があって、
家族がいて、
副業もやっていて、
その上でnoteを書く時間を確保するのは、
本当に難しいんですよ。
僕もそれは正直あった。
「今日は疲れたから明日でいいか」
「週末にまとめて書こう」
という先送りが続いて、
気づいたら2週間投稿していなかったこともあります。
「時間がない」は嘘じゃない。でも「時間がないと書けない仕組み」になっていることが問題なんです。
たしかに、
2000字・3000字の記事を毎回一気に書こうとすると、
時間が確保できない日は書けなくなります。
でも、書くことを「細分化」できれば、
隙間時間でも積み上げられる。
たとえば、
電車の中でタイトルだけ考える。
昼休みに見出しだけ作る。
夜に一つの見出し分だけ書く。
この「小さく積み上げる」思考に切り替えた瞬間、
「時間がないから書けない」という呪いが解けるんですよ。
本業と副業を掛け持ちしながら発信を続けている人って、
時間が無限にあるわけじゃないんです。
むしろ、
「短い時間でいかに進めるか」を仕組み化している。
それは才能じゃなくて、
「書くことをタスク化する技術」なんです。
記事を書くことを、
一つの大きな作業として捉えるのではなく、
「5分でできる小さな工程の連続」として捉え直す。
これができると、
「今日は10分しかないから書けない」
が、
「今日は10分あるから見出しだけ進めよう」
に変わります。
小さくても動ける仕組みを作ること。
それが「時間がない」を言い訳にしない唯一の方法だと、
今は思っています。
では最後に、
これまで話してきた全部のハードルに共通する、
一番の根本原因を話します。
ハードルが上がり続ける本当の原因は「読まれていない実感」にあった
ここまで話してきた原因、
「自分との比較」
「他者との比較」
「完璧主義」
「反応への恐怖」
「ネタ切れ感」
「時間の問題」
全部バラバラに見えますが、
実は共通の根っこがあるんですよ。
それは、
「書いても読まれていないという実感」です。
読まれていないと感じると、書くことへの意味が見失われる。意味が見えないから、ハードルが上がっていく。
これが、
noteを書くハードルが上がり続ける一番の正体だと、
僕は思っています。
たしかに、
書くこと自体が好きな人もいます。
誰にも読まれなくても日記的に続けられる人も。
でも多くの場合、
noteで発信する目的は「誰かに届けること」ですよね。
その「届いた感覚」が得られないまま続けていくと、
どこかで「なんのために書いているんだろう」
という疑問が出てくる。
そしてその疑問が、
書く前から「また読まれないかも」という予防線になっていく。
予防線を張った状態で書いた記事は、
どこか保守的になります。
「これを書いたら変に思われないか」
「もっと無難な内容にしておこうか」
そうやって、
「届きそうな文章」ではなく「批判されない文章」を書くようになっていく。
これが結果として読まれない記事を量産し、
さらにハードルを上げるという悪循環なんですよね。
この悪循環を断ち切るのに必要なのは、
「読まれる記事の構造を知ること」です。
努力ではなく、
仕組みとして読まれる書き方を身につけること。
僕がここなら(kokona)で0→1を出せたのも、
「伝え方」の仕組みを学んだからだと思っています。
ただ頑張るだけじゃなくて、
「この書き方をすれば届く」という型を持てたことが大きかった。
そして、その型はゼロから作る必要はありません。
すでに書いてきた記事を、
「読まれる形」に作り直すことでも十分に変わります。
書くことを諦める前に、
「書き方」を変えることを試してみてください。
それだけで、ハードルはぐっと下がるはずです。
読まれるnote記事に、生まれ変わらせます
書いても読まれないと悩んでいる方へ。プロがリライトします。




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