商売とは何か。大河ドラマ「べらぼう」を見ながら考えたこと

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今回で最終回を迎えたわけですが、
大河ドラマ「べらぼう」を
毎週見ながら思うことがあります。

それは登場人物の生き様とか、
歴史の出来事の解釈というより、
もっと根本的な問い。

「商売って、結局なんなんだろう?」

という、
とてもシンプルで、
でも答えが出ない問いに、
何度も立ち返らされるんです。

パッと頭に浮かぶのは、
利益とか、数字、戦略、マーケティング。

でも、
べらぼうの登場人物たちを見ていると、
そんな“正解”だけでは片づけられない
商売の空気があるんですよね。

地道で、不器用で、
報われる保証なんてない。

それでも人は商売をやめない。

そんな前提のうえで、
今日は「商売とは何か」を
少し言葉にしてみようと思います。

正しさだけでは、商売は回らない

まず感じたのがこれです。

「正しいことをやっていれば商売は成り立つ」なんて、幻想なんです。

どれだけ誠実でも、
どれだけ腕が良くても、
その人の“今の欲求”からズレていたら売れない。

これはシビアだけど、事実だと思います。

べらぼうでも、
理屈で正しいことをしてるのに、
結果が出ないシーンがいくつも描かれていて。

そのたびに痛感するのは、

商売は理屈ではなく、「感情」と「空気」の勝負なんだということです。

理屈が強すぎると、むしろ相手は引いていく。

だからこそ、
「何が正しいか」よりも、
「今、相手の中で何が動いているのか」を
感じる力のほうが、よほど重要です。

商売とは、「感情を読む」技術

僕がしっくり来た定義があります。

商売とは、“人の感情”を読むことなんですよね。

しかも単に「何が欲しいか」じゃなくて、

「なぜ、それを欲しがっているのか」まで読み取ること。

安心したい、
つながりたい、
背中を押してほしい。

そういう“感情の根っこ”が見えて初めて、
商品やサービスが届くんです。

べらぼうの登場人物たちも、
決して合理的ではない。

迷ったり、焦ったり、
時には間違える。

その「人間らしい揺れ」を見抜けるかどうかが、
商売の力量なんだと思います。

「売ろう」とした瞬間、ズレが生まれる

もうひとつ印象的なのはこれ。

売ろうとした瞬間、何かが壊れる。

「売りたい」
「利益を出したい」

それ自体は悪くない感情なんだけど、
前面に出すぎると、
急に相手が離れていく。

べらぼうでも、
「欲」が見えた瞬間に、
信頼が崩れる場面がいくつもあります。

面白いのは、
逆に「売ろうとしない人」が
結果的に人を惹きつけていたりすること。

つまり、

売ろうとするほど売れない。売る気がないと売れる。

この矛盾に、
商売の本質がある気がします。

正解を探すほど、見失うもの

ここまで読んで、

「じゃあ、どうすればいいの?」

と感じた人もいると思います。

でも、残念ながら

商売に“正解”はないんです。

昨日の成功法が、
今日は通用しない。

相手が違えば、
反応も変わる。

だからこそ、
商売は「問い続ける営み」なんだと思うんです。

空気を読む。
違和感に気づく。
また考え直す。

そうやって試行錯誤する過程こそが、
商売を深くしていくんですよね。

なぜ、それでも商売をやめられないのか

じゃあ、なぜ人は商売を続けるのか。

正直、
商売って楽じゃないです。

むしろしんどい。

でもやめられない。

それはたぶん、

誰かの感情に触れた瞬間の「手応え」があるからなんです。

「あ、届いた」
「役に立てた」

その一瞬のために、
何度も何度もチャレンジしてしまう。

べらぼうを見ていても、
そういう“商売の原点”が、
丁寧に描かれていて。

毎週思わされます。

「ああ、やっぱり俺も商売が好きなんだな」と。

商売とは、人の数だけ定義がある

結局のところ、
商売とは何かの答えは、
人の数だけあると思います。

でもひとつ言えるのは、

商売は「人を見る力」を鍛え続ける仕事だということ。

テクニックや数字の前に、
相手の感情を想像すること。

そこからしか、商売は始まらない。

もし今、
「自分のやってることは商売なんだろうか?」
と少しでも迷っているなら。

それ自体が、もう商売の入り口なのかもしれません。

「答え」よりも「問い」を一緒に探す。

そんな関わり方ができたら、嬉しいです。

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